2026年の不思議

年初は皮膚病にかかり、新車も乗れなかった。少しづつ回復し、オフ車の乗降苦労を知る。マンション更新、改修工事、事故保険処理、色々とやる事がある春先。色々と見えて来た所で元気が戻る。何でもない日常、そこを満喫する人生はこれか。一生懸命日常を生きるとは日々を味わいながら過ごすと言う事なのかもと急に認識した。私もまだまだなのだろう。人々とすれ違うのは歩きすれ違うだけでも、自身の存在認識に寄与するのだとも自覚した。

 

同級生とドライブ中に亡くなったお父さんの話を聞いた。いい話だった。

私も暫くカミさんが近くにいた事を実感している。当時から2年たったが、ありがたさは今の方が客観的によくわかる。

 

やぐら散策で一部冷気を感じた。それだけで特に感じなかったが、帰路に弘法大師像を探していたら、このやぐらの上にあった。お墓のように祭られていたそのやぐらはあまり中を覗かなかったが、近年も手入れされている事はわかった。

2026参拝記録

2026参拝記録

碑文谷八幡

年末年始の参拝。いつも通り。

 

3月

小山八幡

たぶん聖地。古墳でもあったのでは。力の残る場所。

摩耶寺

上記と同じ。セットだったのでは。女性豪族関連か。

4/12

神明神社(三浦)

東京湾、相模湾の両方眺めの丘陵にある神社。佇まいはかなりいい。

亀岡八幡

阿吽のカエルは珍しい。

4/26

高円坊日枝神社

祖父、父、叔父達を偲んで。

五劫寺

廃寺のようだが、お墓はあり、お参りされている。どこかに吸収されているのだろうが、管理はしっかりしていると思う。とてもとても手入れお参りされている。先祖を思う気持ちが伝わる。

 

沖ノ島

宇賀明神

海に向かって下り鳥居がある。雰囲気はいい。とんぼりの先の島だが、観光伽の多い無人島。歴史もある。

 

建長寺

仏殿は修繕中だった。半僧房とハイキングコースを散策。やぐらでは1ヶ所冷気を感じたが、帰路に弘法大師像の下のやぐらとわかった。なるほどと思った。山頂からの景色はこれぞ鎌倉と言った景観。初夏の空気も良かった。

 

常陸の国総社

国府のあった所。国分寺、国分尼寺、古墳と地域の中心または聖地だった所。特に霊威は感じなかったが、地域の人々に根差す感じと、新しい住民のバランスが特に感じられた。のどかで平和な地域。そこに歴史ある史跡が存在していた。

6月

伊勢崎神社

以前気が付かなかった彫刻を堪能。こちらも三浦氏が関与してるとは。伊勢崎の歴史に触れる事が出来た。地域の人々歴史を感じられる社だ。

7月

小山八幡

雨の早朝、血の輪くぐりを行っている人が一人。私も。相変わらず雰囲気がいい。

何時来ても聖地を感じさせる。

 

 

 

 

2025年の不思議

2025年1月

虹;

昨年は3日続けて虹を見た。早起きが最大の理由だろうか。

部分であったり、発生の様子だったり。そして今年に入り、でっかいアーチ状の虹を見た。全体像がスマホ写真に入らなかった。

多くの人が目撃した筈だが、見れた人達はこの時間に活動していた

特殊な人達。職人達は社内で朝飯か、仮眠覚醒中や待機中といった、

関心ない世界に。見れる人と見れない人の差。又は見なくて済む人と見てしまう人。これを学んだ。

 

八幡神社

2日初詣。人は多い。ある樹木には何かが居そうな気配。

稲荷様関連ではなさそうだが、神使いの鳩も境内では見ていない。

再度訪問ドンドへ正月飾り奉納時もそこはちょっと違う感じ。

他には神社独特の結界感は相変わらずで、他には地域住民の思いが

充満している感じ。

 

悟り

25年1月、就寝時、急に現れる。形式は岩肌、崖か、榛名神社が近いだろうか。

意思はあるが感情のない状態。湧き出る欲求を消し、何を欲する事なく存在する。

こんなの存在意義ないと思ったが、それ自体の思いも消す。存在と言う概念すら無い、

そんな状態を観想ではなく、感じるでもなく、確かに私ではあるが、個人と言う認識なく、

何だか別の何かの流れの中に入ると言うか、繋げると言うか、そのような感覚を観た。

別次元と言うか、普通の認識、感覚とは別の何かこれらは何もない他の領域。

それはわかったが、そこに今行くと戻れない、別の流れに進む事になる。

この領域が悟りで解脱と呼ばれる事なのだろう。しかし、その流れに入って尚現世に

肉体を残した状態はまだ想像できない。しかし、何かわかった。この糸口を頼りに日々

観想して行く事が修行なのだろう。この無形なものを形として認識し、掴むのだ。

新約の世界と少し似ている。こちらは大いなる自然と言うか、人によっては宇宙とか

真理と言う言葉表現しか当てはまらないが、これぞ自然の流れに入る事。

新約ではその存在が“父”としていると近い存在。あるいは同じでは。

固有とか唯一とか表現される神は本当はこの人格めいたものがわかりやすいのだが、

その存在は大きな人格を超えているものである。

 

3月

最近思う。

何か薄カラのようなものをやぶるのだ。というイメージが湧いていた。体の精神が楽になると言うか、成長するような良いイメージ。但しどうやるのか、何をするのかわからない。心の持ちようのようだが、これはただの中二病的なものか、仏の教え等の成長によるものか、まったく別の物か、錯覚か。とにかくぼんやり近くにあるように思う。逃すのだろうか。私の都合良いように運ばれて行くのだろうか。

なんて慌ただしい。私を守護する方々への感謝は事ある毎に。

私を心配してくれる知人、友人には感謝を。

 

夢の書とめ

私の体は小さな千社札となって遠くに見える。但し、その札面積と言うか容量は小さい。それを眺めていて、そんなもんだと思い知らされる。人生そんなもんで、欲求や心配事がなんでもないと言うか、逆に今だから味わるというか、そんな感想を持つ夢。

 

飲み仲間と旅行

カミさんも一緒だった。みな慌てて搭乗手続きをしているが、私だけ遅れた。

遅れた対応をしていると作家先生が前に並んでいた。挨拶したが、その顔も覚えている。誰に似せているのだろうか私の夢は。遅れる時に荷物整理でジャージが机に出しっぱなしだった。以前にホテル泊夢のチェックアウト時やぷーるのような風呂でも同じような出来事があった。引っ越し先遅れを木にしているのか。

おじきの夢

石井さんが出て来た。バイクを倉庫から出して来たが、そこは私の小学校門横だった。この小学校らしき光景はたまに出て来る。今回は石井さんの引退記念?に皆のバイクで上空飛行しようというもの。バイクで上空とはわかわからないが、意気揚々と仲間達と準備した。私は枕のような防寒を頭に巻いた。「寒いからね」と尋ねた奴に返した。コルセットが象徴として出て来たのではとも思う。

 

妻夢も相変わらず見るのだが、お別れに近いものもある。死者として登場しているのは変わらずだが、別れとして言いたい事を伝えるような夢。

 

不思議夢

風が小窓を揺らしていたからかも。自分の殻だの中の小さい部分なのだが、これを使わないと機能が失われて行く。だから使わないと。と夢の中で夢分析した。これらの夢で現実の中の何か未使用な所を表に裏返すような事で殻が破れると漠然と思う。

 

妻の夢

まだ見る。亡くなっているのに家にいる。その事は本人もわかっているが、なぜここにいられるのかはわからない。おそらく傍にいて欲しいと私が思っているので夢見るのだろう。何度も違う状況で見ている。一度は玄関でただいまと言っていた。また買い物をして来たらしく、お金を渡そうとする自分。父や母が登場する夢も見る。亡くなった家族と過ごした日々が懐かしいのだろうか。たまに部屋に妻がいるように思う。それも新盆法要前後だった。

 

秋祭り

週末の秋祭り日に近所を歩きまわった。教会が少し神々しいというか、少し異世界感を感じた。待ち合わせの有自宅へ時間調整も兼ねて、普段通らない道へ。住宅街は静かで曇天であったし、人は数人歩いていたが、何故か古くからの生活感と平和な日常感の継承が沸き起こった。そんな感覚時、街路樹が何かを呼んでるような感覚を共有した。何かはわからない。「雨か?」いや数日前に警報級の雷雨だった。おかげで空気も澄んでいるのだが、何やらこの辺り一帯が清浄感というか、時間の流れが混濁してると言うか、不思議な感じだった。嫌な感覚ではない。祭りの神社も賑やかさの中、優しいものが満ちていた。怒られる前の優しさでない事を。そうだ、今朝も虹を観たっけ。

12月に入っても妻の夢は見る。亡くなっているのに帰って来る。会話もできるようになった。渡井は心配をかけているのだろうか。私が思う以上にしっかりした妻だった。家事をしているとよくわかる。これは世の夫達皆そうだろうか。何故家にこれるようになったの?とか色々質問もしたが、答えのはダメと言われた。そんな夢を南海も見ている。

 

 

 

 

 

2025年の始まり

世の中平和な地域にいる人もこのまま続くか?と一握りの人は思うだろう。

平和ではない苦労されている人々はこれから先が変わってくれればとなぐだろう。

全ての人が等しく満たされる世界はあるのだろうか。

病気と治療は日々進んでいるが、様々な発明は便利なようで不便にもなる。

現代は近年増々自分の側の豊かさに執心する。これは昔からそうであったが、

本音が建て前を凌駕する状況。果たして人類は進歩しているのだろうか。

その進歩は人類を安泰にするものだろうか。

現在の世界の政治リーダーは後世の評価はどのようなものだろうか。

紛争、パンデミック、自然災害が大きく報道され、貧困、飲食難、医療不足、

ここに先進国の出生率低下と人類人口バランスは危うさを保っている。

資源、生産技術の争奪戦は激化して行く様相で、政治は経済優先。

先の事を考える余地が少なくなっている。

そんな中、そのような大人世代に変わる次世代は既に生まれている筈。

育ての親達を踏襲するか、変更して行くか。

変化はゆるやかに進むか、破滅の後の新構築か。

私の世代のアニメにおいて、悪役は後者の考えを持っていた。

当時のヒーローは前者だったのだ。

さて、大きな変革はそれまでの慣れた世代、つまり高齢者には辛い事が多い。

これまではそうだ。しかしこの国だって、鎌倉、明治、戦後と大きな変の上に発展し、

他の国の歴史も同じような変革があった。

その時代の終わり。それは始まっているから、そんな事が起こるのか⁉と感じる。

さて、人類は自らそれを実行出来ない場合でも自然災害等によって強制的に変化する。

コロナの影響は世界の生活様式を変え、災害は生きる為の必死さを強制させられる。

さて、既に生まれている将来のリーダー達はどのような支配を構築するだろう。

搾取ではなく、共生の為の支配を望む。人々が平和でそこそこ満足感を得られる仕組み。なんと前大戦時の独裁者の予言にもあったとされているが、果たして。。

穏やかで満ち足りると進歩が無くなるのだろうか。競争心がないと発明や発展はないのだろうか。世界の神話にある神々の言葉は正しいのだろうか。そもそも正しいと誤りはだれの判断であろうか。仏陀の教えが凄い事がわかるが、それでは人類は子孫を残して文明の発展は続いて行くだろうか。現代の高齢側にこれから入る私では想像出来ない新たな生活を苦労と悲しみを少なく実行して欲しいものだ。2025年はそのような世界の始まりだといいな。そう願う。

 

四季

本日朝、春の先遣隊を実感。気象予報士が昨日、「春」と言っていたが、私の観測でも

春がわかった。予報士とは違うのですけど。木々の蕾がまた実感させる。葉か花かはわからないが、凄い愛おしいと思う先人の気持ちがわかる。先日の悟りで少し感覚が変わったか?初夏迄の感覚は持てたと思う。

 

2月からの変化

2月3日に事故に会う。頸椎骨折。保険関連や様々な処理方法を学ぶ。

本格的な整形外科、今回は呼吸関連、皮膚関連も。半年前の妻他界から休む間もない。

これは良いのか悪いのか。妻の件があったので、今回の出来事も冷静に受け止めた。

そいて仕事だが、定年迄あと2年。配置換えも決まった。在宅フルが可能。後は事故怪我の治療と引っ越しと、バイクと荷物処分だ。こんな変化が凄くやってくるのは何かあるのだろうか。

神経から来る皮膚炎症か、視力自立神経の影響かもとの事だが、今年も色々とある。

小さい事柄だが、ヘルメットは代えた。なんだか変化せよと迫られてるような、成り行き上変化に対応して行くしかないと言うか、それも決して怖くないように漠然と思うのは油断し過ぎか。

真紀ちゃんは相変わらず夢に出てくるが、見守ってくれてるだろうけど、良い人が居たら嫁にしたいと思う事は許してね。こちらの予感、新たな何か、これまでのものがなくなり、新しいものに進む楽しみと不安。今年末にはどう思うのか。

3月から胸に湿疹、これは薬の副作用と皮膚科に言われた。内服薬を変えても続いたが、少し収まった。秋口から11月には腕にも。これは乾燥から私が引っ搔いた。足も酷い。10月に喉のツッカエ感を内科に言ったら、抗鬱系を処方され、一服目から刺さるような痛みは引いた。今回も皮膚の事を伝えたら、抗アレルギー薬と抗乾燥塗り薬を処方してもらった。薬は効くもんだと実感。また、甘いものを食べるようになった。危険だ。自分がかなりのストレスに見舞われているとわかった。

 

 

 

2025年参拝記録

1月2日

地元の八幡様へ。隣接するお稲荷様にも。あえて特筆はないが、お使いか、ただの住者か、どこにいるかはわかった。

数日後

どんどに。今日はお使いがいないようだが、その場所はやはり同じ感じだ。

 

3月20日

筑波山の梅見に。筑波神社は三峰や御嶽を思い出させる。そう言えば同じ皇族の祖霊だ。同じと感じたとは偶然だが、御祭神は同じ神威を持つのだろうか。ご神木の存在感は凄かった。私などでは相手にされない長寿の存在だった。

3月26日

世田谷のとある人出の多い所の熊野神社。賑やかな場所なのに、鳥居をくぐると、しっかり結界を感じる。品川神社のお稲荷様と近い雰囲気のお社があった。水と関係あるのだろうか。

4/20

等々力不動尊

久しぶりの訪問。曇天の早朝。明かりが怪しかったが、いい雰囲気だった。

5月

深大寺

御開帳が偶然だった。厄払いもして頂いた。帰りがけ、大師増は左目でウィンクしてくれた気がした。最強、最恐と事前に聞いていたが、お茶目な気がした。きっと本来のものとは違うモノが宿っていrのではないか。

6月

平塚の塚

やっと往訪出来た。一号と海の間の街並みは古き良き残照があった。塚は既に静かな自然の流れの中にあった。近くには他にも社や寺があったので、聖地なのだろう。静かで保守的な街並みを感じた。

金乗院 放光寺

偶然通りかかった。唐の様式が強く、別当の名残も大きかった。散策は次回にしたが、特に気をひく感じはなかった。

 

9月

碑文谷八幡の例大祭時にお参りに。公園の弁財天にもご挨拶に。

11月

東伏見稲荷

今年2回目。磁力チェックした。そういう意味でやはりパワースポットだった。土地の持つ力だ。お社はまだ馴染む最中かもしれない。

岩室観音堂

いい雰囲気。2階は風が爽やかに吹き抜ける。この浄化感は何だろう。何でもないお堂のようだが、昔から地域を見守っているかのようだ。

龍泉寺

日本三大厄除け大師。商いの上手い印象を持った。裏山は何か力あるいい場所だった。ずっと居たい気になる。高さはないが、聖域感あり。

12月

目青不動

三茶駅横なのに銀杏あたりは喧噪も消え、昭和感のような流れを感じさせる。手前の方の銀杏がパワーを持って維持している。これは神木でいい。思わず挨拶した。

一人旅

友人

30年来の友人と再会。亡き妻の報告。久しい会話はとても素敵なひと時だった。ある意味おねぇちゃん的存在かもしれない。趣味と言うか思考ジャンルは同じ。心休まる。

 

大学時代の同級生とランチ&公園散歩。久しぶりの時間は直ぐに埋まるのが同級生。

あっという間の6時間だった。母の顔、妻のあれこれ等を教わった。

大きく2通りあるのよ。と流石同級生、年季が違う。納得の講釈。

 

美術館

妻の医療費支払いついでに美術館へ。モネは混んでそうなので田中一村展へ。

幼い頃からの絵の上手さはわかったが、この方は狩野や琳派等凄く勉強してるとわかる。ゴーギャンのパクリか?等と思ったが、あの有名な絵は直に観ると凄い。

今にも雨が降りそうな湿度と気温と風がわかるのだ。そして重ね書きのこだわりを感じた。テーマ的に思えた。

 

暑い文化の日、風は強い海岸線、横須賀美術館とアジフライを堪能。

運慶展と三浦一族がテーマだった。運慶実物は過去に見てるのだが、今回は前を流れるそんな誘導で無料日とはいえ、酷い仕切りだった。瀧見観音がなかなか良かった。

直ぐに日本の制作でない事がわかる。意匠と作りが違う。そこまで見れるようになったかと自分に問うようにもなった。

 

台風

普段暑い、寒い、雨、晴れ等は自分の行動欲求に影響がある場合に感じられる。

ただ、台風や暴風雨、雪等は防災等の準備を行う。これは自然に対する備え。

こんな時にならないと自然の力を意識出来ないのが、現代日本なのかもしれない。

農家は日々意識する。登山やツーリングも意識する。レジャーでは天気予報を見る。

遊びや仕事に関連する特殊な場合以外にも普段の生活で意識出来るかがポイントではないか。漁や猟、その準備には天候を事前確認する。日々の天気は災害級でないと多くの人々が意識出来ないのは、自然の力を普段はなんとなく受け止めているからだ。

これは発展でもある。自然に左右されない平常生活を維持する為の。

南海の島出身者が言っていた。「不謹慎だけど、台風来ると燃えるんです」と。自然に立ち向かう姿だが、私は理解できる。キャンプとかはそれを味わう要素が強い。

友人女性に田んぼを借りたり、釣りをする人がいるが、このあらわれだろう。

 

 

 

 

やっと余裕が。

2024.7.28に真紀が旅立つ。11日に倒れ、18時頃帰宅し発見、すぐに救急連絡、駒沢国立では処置出来ず、瞳孔もひらきつつあるとの事、救急隊員が荏原病院を。ここで24時。

6時間から7時間のロスではないか。荏原病院の長坂先生はがんばってくれた。この病院スタッフは皆優しい。良い病院だとわかった。ICUに三週間はいただろうか、毎日通って言葉をかけた。意識は戻らず、一般病棟に移った2日後に急変し、血圧が下がり、最後を看取った。高血圧が原因の出血のようだが、最後は低血圧の低酸素脳症だった。葬儀手配、友人に連絡、銀行、保険会社、区役所、公共料金等の名義変更確認。

三週間は寝る間もなく、但しTVを点けてないないと眠れない状態だった。

守れなかったのか、数回守った事になるのか。私の注意した点は自分でも起こるようで、真紀の問題でない事も多く、悪い小言を言ったかもしれない。また彼女は荷物も少なく、必要生活消耗品のストックもあり、大変助かった。これからのんびりと色々と連れてまわりたかったが、それも叶わず、但し暑い夏を過ごせるかの心配はなくなった。

寂しいが、心配も減った事になる。扶養がなくなり、自分の面倒も自分のみだが、憂いの半分は減り、不安がその分増したのである。

急に洗濯や針仕事が増え、それはそれで達成感あるのであった。但し料理は一人分は難しいのでこれが問題。片付け気分が始まったのは良い事かもしれないが、真紀が居るうちにしておくべきっだたかも。そんな反省と思いが絡み合って人生観が大きく変化した2024年夏。五輪なんて見ていないが、女神のカフェテラスには救われた。

 

真紀ちゃんへ報告

台風接近の8月末、晴れ間を縫って洗濯。洗濯槽のカビとり掃除を実行。薬剤を買っておいてくれてありがとう。そして49日法要用のお菓子を売ってるかイオン迄。売ってたし、お供え用カバーもつけてくれるとの事、真紀ちゃんの食べそうなクッキーを選択。消費期限も11月迄あった。ついでに見回ったらエアコン掃除用薬剤があったので、購入。さっそく使用。これでカビ菌臭さ対策出来た。洗濯機の誇りもとり、バスタブ用掃除薬剤が古くなってたので使用。これでエアコン、バスタブ、洗濯機のメンテをしました。以後もストック薬剤を使い、家中を整理しますね。以上報告。お金もない中、必要ものを買っておいてくれてありがとう。

 

事務手続き

銀行、ゆうちょには私が振り込んでいたものも片付いた。全て閉鎖、携帯も止まり、

水道、ガスの名義も変更。支払いは既に私にしておいて良かった。

病院支払い、金融機関、役所届関連も終わり、支援書類変換と納骨法要を残すのみとなった。相変わらず睡眠時にTVが必要だが、これは静かな夜に慣れる迄難しいか。

洗濯しまくりと錆びた容器のケミカル処理と古紙捨てと少しづつ片付け。ゴミはまめに出しているし、家事は真紀に負けずに実行している。食事がつまらない。2人分からでないと色々と作れない。特に今年は暑い夏。それでもストック食品は処理していかなくては。真紀がいるうちに実行出来れば良かったね。でもそれは難しかっただろうな。そんな状況で洗濯ジジ、掃除ジジに変化していく様子がなんとも寂しいし、すっきりもする。第二の人生が近い内にと思う。そんな風に変わって来たよ真紀ちゃん。

 

真紀の夢

数回見ているが、死後と言う認識は共通している。遺影に浸かった年代の容姿だ。学大メンバーも一緒に登場するのは、共通の友人だからだろう。40週過ぎくらいに部屋がお香の匂いに満ちたので挨拶に来たのかもしれない。水とお菓子くらいは備えているが、狭いマンションなので、テーブルに備えて生前のように伝えている。

自分は洗濯好きなのか、天気が良いと冬物でさえすこしづつ洗濯してる。カイロ火口も掃除し始めたし、冬支度もマイペースで開始。電池充電大会も早めに終わった。そして真紀ちゃんの7月分バイト代も届いたので、電話でお礼をしておいた。遺影前に供えました。少しづつ元気が戻って来たとも思う。