回想

UKのバースに行った時に感じたのだが、人生初の欧州で、しかもフランスからUKへ仕事で渡った。空港からタクシーで拉致され、途中の名勝に寄っていたが、私は早く寝たかった。宿は民家でふっくら母さんがハグで出迎えてくれた。「ミスタートウキョウ!」と叫びながら。中学生クライン娘さんと大きな犬がいたと思う。もう一人小さな女の子もいたかもしれない。ベッドは子供用だった。そこから打ち合わせにスタジオに向かい、そこのスタッフに自慢げに周囲を案内された。

パン工場を改造したRECスタジオだった。

牧場と麦畑、敷地内に川が流れ、スタジオリビングには常時暖かいスープ2種と果物があった。今から35年前の事だが、偶然にもUKのゆったり田舎風景を堪能する

仕事旅となった。私は牧草地の獣の匂い、草の匂い、湿度と動植物の呼吸で満ちた空気を感じる事が出来た。人間の呼吸より多い自然の力で満ちた空気は何故か懐かしいような、当たり前を思い出すような、不思議に思ったが、そのような様子を能動的な落ち着きで観察していた。その後の30数年は海外は数回だが、国内でもその空気感を感じる事は出来た。解り易いのは海や山だ。南伊豆はその力が、西や東伊豆のそれとは違う。東北や北陸は都内在住者にとっては、はっきり違うので、空気がいいとか、癒されるとか発言するだろう。博物館で海外の展示物があると、その国の匂いがわかる。絵ではその空気感が、画家の癖や技法から創造出来る。

想像とは素晴らしい能力だと思う。芸術はその証だ。それをどう利用するかはその人次第である。

気づき

土地の持つ気

西伊豆へ東伊豆経由で。昔今井浜や、多々戸へ海水浴へ行ったときに綺麗だったが、

さらにその先は自然の荒さが感じられ、西伊豆とも全く違う気とわかった。

西伊豆の友人が「全然違うでしょ」と言っていたのがわかる。

白浜も昔より空いていた。ここは違う土地がやって来てから変化が少ない。

人も少ないから要因はわかるが、土地の気質が我等の生活を寄せ付けないからかもしれない。相変わらず役行者の縁ある土地は荒い気風だ。

 

登山

三滝から行者像へのハイキングルートに。途中は縄を使って数歩登る。

細い道をストック使って上る。これ重要でペースと共に体験しながら気づいた。

ある場所から獣道ならぬ人道がわからなくなった。なんとなく進むと下りに。

おかしいと頂上付近に向かうと、木の根がたくさんの人に踏まれた跡を発見。

その様子を頼りに道ではない斜面を登ると目的地はあった。途中の下置看板がシュールだ。それから人工物に見える木が錯覚だったりと、パニックでなくてもへんな感覚になる。きつねにつままれるとはこの事かもしれない。クマに見える黒い木もあったな。

 

気になる憂いは大人になれば増えるが、より大きな心配事が起こるとそれまでの心配事は気にならなくなる。人間は憂いの生き物とは誰の言葉だったか。

 

24.3

今朝徒歩通勤中にこの辺りというか国というか、漠然とした範囲だが、「守らなければ」と感じた。自然災害からである。人命である。建物他は後から作れるが、人命は別だとイメージが湧いた。よく勧善懲悪もののお話はこれを作者は感覚していたのか、凄いなと思った。しかし、何故危機感が来たのだろう。感覚h津波か防風だった。

後世の日本人に。

2023年夏

連日猛暑の東京都心部。過去の記録を更新する酷暑である。

今夏のニュースは車販売業者。保険の不正請求等まだ問題は多いが、

会社の従業員支配と強権をモロ出しにした結果であった。

売り上げ至上主義、利益が何より優先と、社会貢献の反対に向かう、

搾取主義に染まるのは、大国の政治にも似ている。

忖度が事の根底にある意義や価値を曲げて、一人勝を狙う方向になる様態が

国単位にも出てるので、当該国の法人もそのようになって行くのだろう。

この酷暑も温室効果ガスの影響と言われるのだから、JDPの高い国は、

皆知らずの内にこのような価値観に染まっていると言わざるをえない。

現在はその経過のどの辺りかは今はわからないが、搾取する側とされる側が、

早い内にぶつかる事になるのか、ただ加速して行くのか、多くの人はまだ怖さを

持たず、ただ嫌だなと思っている状態である。

 

2023.9.14

今夏では長く連なった入道雲を多く観た。今朝もだが、このジブリのような雲は流れているのだ。だから輪郭がシャープではない。かすれたようになりながら流れて行く。気流、海流、気圧配置とかなのだろうが、ちょっと珍しい。暑さが記録的なのだが、雲模様も記録的なのではないだろうか。

2024.1.9

大変な年明け

能登半島で大きな地震が。これまで不思議な現象、おそらく磁力が強く出ていた付近だ。雨雲レーダーのドーナッツ現象も見た事がある。これは偶然だろうか。地震活動も長く、数多く続いているので、警戒発令があっても良い場所である。どうやって出すかが大きな障害だろうけど。

ここは火山活動の地震とは違うようだが、メカニズムは予測の段階。

他にも正月早々、地震と援助に向かう航空機の接触火災等、ニュースライブを見守る三が日であった。

 さて、「突破」について考えたが、リミッターのようなものかもしれない。

それが細胞の変化になるのだろうか。脳内活動の一種だろうか。

既に兄弟との思考の差は確認出来る。理性の成長は自覚する。

感性はどうだろうか。こちらも自覚出来る。視力等のフィジカル老化はあるのだが、受容能力は上がった。突破の自覚なく突破するのだろうか。

 

2024.2

2月中に最高気温更新の地域が。総務省が太陽活動の影響が今年からかもと前倒し注意。能登地震といい、蘇我地域、京都、和歌山でも有感地震が増加傾向。世の中は暖房毛布、ブランケットの電気式、足元暖め用品等が目白押し。辰歳がどうとか言ってる場合でもなさそうだ。ウクライナイスラエルパレスチナ、戦いの注目度が高い。そんな年明けである。

2024.3

関東でも大きなエネルギー地震が発生している。茨城、外房、蘇我とこれまでの多発地帯に大きなエネルギーの揺れが。外房は新しい場所。茨城は筑波から西エリアだ。他も油断ならなくなって来たと思う。

 

 

変化

妻の入院、10日間は一人で過ごす、この際に部屋とモノに会話をいつもより多く行った。ある日の帰りに何かが顔にあたった。虫ではない、黒い砂のようだった。妻の退院後、パンに載せるベーコンが2度も消えた。そんな事と平行に相続で税理士と、家探しとGWは過ぎて行った。最近は都内でも田舎に感じるのだが、田舎は荒廃感もある。自然とは人口の緑ではないとわかった。自宅のモノに対する意識と郊外の意識、生活感というか、まわりにあるものの見え方、感じ方が大きく変化してる気がする。それらを頼りに、身近に感じるようになったのかもしれない。見え方が変わる、距離感が変わる。なんだか、違うのは体調変化もあるのだろうか。気が変わったとはこの事か。

 

登山 

大平山に登った。頂上付近にある役の行者へお参り。

下山後は足首が少し変だったが、疲れたという印象。

翌日も腰が少し動き難かった。

そして翌々日だが、自宅マンションの階段の昇降が楽だった。

体全体が少し以前に戻った感じ。体全体が野生に帰る感じ。

以前大山に登った時と同じ感覚。これは登山の醍醐味なのではないだろうか。

数日で元に戻ってしまった感が残念だ。

 

24春

今年は徒歩に意識が向いている。毎週末1時間~2時間歩いている。

林試、目黒不動、碑文谷、世田谷の各公園に行き、公園の存在意義を感じている。この運動は役に立っているようで、体力の少しの回復に貢献。但し何もしなければ、直ぐに戻ってしまう。徒歩圏内にもまだ名所があり、今春は梅とメジロについて学んだ。

 

醍醐味

キャンプ

日常とは違う空間。常日頃アウトドアな人でない限り、外に身を置くのはそれだけで活性化してくる。これは動物本能なのか。

不便さをアイディアでカバーして、持てる道具で対応する。

天気や他の生物との対応、自前で火を起こすのも、テントを建てるのも自力達成感が味わえる。ある南国出身者が言った。「台風来ると盛り上がるんだようね。」

自然に対応するには、自然に身を置く事。それを味わう事。

神奈川の水

山下公園の水を飲んだが、懐かしい味がした。部活の後のあの味。

蛇口や水道管の成分なのか、水自体の味なのか、とにかく懐かしい味がはっきりと

感じられた。

 

セミの鳴き方

林試と平和島で蝉が鳴く様子を観察。凄い技というか、観てると命かけて鳴いている。

胴体を震わせて。。アニメ等で同様なシーンがよくあるが、今後は実感として感じる事が出来る。

 

久しぶりの花火in玉川

初めて道路で見物、開始20分前着で雨も落ちて来て寒かったが、

混雑被害にも合わず神奈川側の花火が観れた。

花火的には、赤色が良かった。渦巻意匠が印象に残った。

後は風もあり、楕円状態も多かったが、腕は今一ではないだろうか。

修了合図と共に帰宅行動をしたので、途中で電車が座れる状態。

良い判断だった。翌々日に足に来た。あの坂だろう。

月と花火のコラボ。虫の音と花火。秋の打ち上げも良いもんだ。