起きてるのに夢

世界情勢

黄昏。印中か。南の島は黄昏ている。虚しい。止めれるのに失敗した。

今度は上手く行動しよう。そんな一瞬の夢。

 

天気より・・23.3.16

昨日は朝からCT検査、そして墓参り、実家様子見、眼科受診と緊張もあったのだろうか、気を張っていたと思う。高速を移動中に空模様を観て、同じものを見ても感じ方が違うのは人の心の持ちようとわかったいたので、気を張るというよりは気を溶け込ませると言った感じに変更してみた。高速走行上は気を張っているから、これを緩めるのは大変危険なようだが、私は今日はやる事満載だから、力を抜く事が良いと思った。

そしてらどうだろう、もう少し後に憂鬱なが発生する事が伝わって来た。雲と言うか、空と言うか、空気からだ。なんとなく自然災害で水が関係しているようだった。

「長雨か?台風被害?」よくわからないが、暫くその影響が残るのか、その事自体のインパクトが大きく影響を広げるのか、とにかく暫く憂鬱な、そう長梅雨の時のような

感じがやってくるのだと思った。実際に長梅雨だったりして。まぁそれなら大したことはないが、見えないストレスや農作物に与える影響はあるとは思うが。

そしたらその晩に洪水の夢を見た。田舎の道にいた。テツさんと一緒だったようだ。

始めに滋養強壮飲料のような瓶がたくさん流れて来て、その後に水嵩が増すと同時に子供達が流れて来た。高台に上り火を起こすのに近所のおじさんと火起こし競争みたいな事になった。特に焦らず、恐怖に包まれていない冷静な自分だった。そして今日この記述を書いている。

23.8.23

何だか落ち着かない。気温と湿度が高いからだろうか。窓ガラスが心配だからだろうか。以前東北震災前に感じたものと少し似ている気がすが、今回は息苦しい。震災前は胸騒ぎというものはこういうものかと思ったが、今回も近いような。何もなければ良いが。

23.8.28

仕事の件で後から記載する事が先に記載されていた気がする。自宅で匂いが移動する。

これらは関係あるのだろうか。自分の殻と中身が違うというか、意識自体が個ではなく、どこかに吸収されるというか。暑さの疲労だろうか。

 

23.9.14

黒柳さん白黒顔写真がTVでたくさん映っていた。コーラージュのようなのだが、私は特にファンでもないのだが、国内に与える影響が大きいんだろうか。

 

9.28 「起きてるのに夢の状態」

起きているのに、眠くなるというのに近いが、意識の中に沈むというか、

そこには映像があり、ストーリーがある。瞬時に構築されている。

私の場合はその映像の前後の説明も瞬時に行われ、その中にどっぷり浸かる事がない場合は結果をコントロールできる。浸かった場合はさらにストーリーが進む。

 

江の島往訪の夜、どこかの島の夢を見た。二つの山か島の何かを繋げようとする夢だった。夢の中でも何かが出来れば、または解ればうまく実現できる。そう思っていた。途中で半分目覚めたのか、夢を見てる事がわかった。そこでここは江の島か?と自問したが、はっきりとそうだとは応えなかった。ただ昔の時代のようで、当時は別名称だったかもしれない。

 

12.25 急な侵入感

ニュース記事をみていたら、その背景の世界に行ける何かがあるような感覚になった。

現実逃避願望だろうか。中二病だろうか。

今年はたまに起こる、“突破感”が寝ていなくても沸き起こる。

以前は夢の中で、「空を飛ぶコツ」をどう掴むか?まだ低くしか浮けない。

等と夢の中での突破感だった。

今は起きていても瞬間的に思いが湧く。

どうもどこかに入って行くようにだんだんと感じる。

 

24.3の夢

実際に寝ていた夢。実家2階。弟がいた。数人が我家に来ていた。

その中の女の子。後で瞳と声をかけられていた。誰なのか?想像の産物か。

 

24.4公園の木々

いつもの公園に桜開花を見に行った。雨上がりの晴天気で気持ちいいはずなのに、

気分がすぐれない。花粉症が凄かったのだが、そのせいだろうか。ふと木々に挨拶をしてまわると、今年は自然の猛威に会うと木々が覚悟を決めて憂鬱そうだった。なんだかバイクでお出かけ意欲が出ないのはそれか。有感の大きな地震は多い。世界情勢は緊迫していて、ロケットやミサイルを打ち合い始めた。気分はこのせいかと思ったが、違うか。

 

 

 

 

寒さ対策

2023年はGENⅢレベル7も使い、レッグウォーマーも装備、ひざ掛けと寒さ対策を実行。そして昨シーズンよりハクキンカイロを導入。初冬はminiでオンシーズンはスタンダードで主に手や肩の冷えから湯たんぽ代わりに重宝した。

2サイズ各2個を使いまわし、ベンジンは500cc消費。2シーズン目には火口

と中綿予備、GIANTも発注。今後もカイロ使いのカイラーとなる覚悟をする。

「暖かいは幸せ。」歳をとるとこのように思う。次シーズンジャイアント使いが楽しみである。

2023年秋にはポリのマイヤー毛布を購入。シングルだが、幅広く年内は問題なく暖かい。同ひざ掛けを背中に敷いてこれも暖かい。山善の安い電気毛布も購入。こちら出番はまだこれから。秋が無いくらいの残暑から急に冷えたので、綿入りズボンが突然の出番。台風も少なく、ダイポールとエルニーニョの影響との事だが、平年値を大きく変化させる気象となっている。

2023年気象

既に春の前触れは届いたとわかった。今日は春雷のような雲の先陣が近く迄来たようだ。厚い濃灰色と黒い雲の間から指す朝日は絵画の1枚のようだった。

6.12

今年は例年の平均気温より高めに推移してるようだが、ずっと寒い印象が強い。

暖かい日が相当に高いのだろう。関東は既に梅雨入り、東北迄速報値は発表された。

既に台風2被害が大きく、3号は南方通過したが今年も風水害に警戒を高くもつ事に。

大き目な有感地震が多くなっていて、9月の関東大地震100年の今年は特集が増え、

国民の不安を煽る事になるだろう。準備をしっかり計画し、実行してるか当局や関係者はチェックされる事に。太陽風や彗星も話題に入るかな。

6.27

梅雨の隙間時期から湿度が高く、急に寝苦しい季節に。公園は昨日ニィニィゼミ泣き始め、翌日の今日は森の緑が濃く、若葉がピークに達したものが多く、清々しいが、ちょっと未熟な呼吸の香りがこの季節の素晴らしさを伝えてくれる。この雲がとれると酷暑が待ってる。

7.18

海の日の三連休の都内は猛暑日だった。蝉すら鳴けず、蚊すら飛べない暑さだった。

8.9

7月からの猛暑日は記録的になった。33度の気温で熱く感じなくなるほど。

台風は6号がゆっくり動きで九州他に被害を。7号はこれから関東に迫る。

こちらは久しぶりの雨だが、気温低下しても湿度が凄い。さて、この猛暑のツケがこれから始まるのだろうが、暑さで家電と蓄電関連がやられ、ゴム類や接着も溶け、今後の寒さ到来時に問題が出て来ると思われる。それでも雲は秋が上層に来ていて、入道雲と不思議なジブリ風景を創っている。

9.25

昨日、都内は今秋初めて寒さを感じた。気温は下がり始めていたが、湿度が下がった。

秋の全線が太平洋側に南下。あわてて長袖を出す人も多く、私はアイモノに切り替え。

寒さに慣れずにこのまま急に温度が下がると免疫力がヤバい。既にインフルエンザが例年より早く流行りつつあるようだ。農作物の悪影響はどこまで事実範囲かわからないが、良くはない。処理水問題でスン産物の国内流通が増えそうだが、いつまで続くだろう。そんな秋を急に迎える今秋。

 

 

健康項目追加

2023.1.23

内視鏡検査から便通が少ない。あれだけ出せばか。今週は歯科で歯の掃除。

たぶん後に治療があるかと。そして心臓チェックにクリニック検査。悪くない医者かと思う。

薬も無し。緊急を要する事ではないと。これだけで、具合が少し良くなった。我はそんなに精神的に弱いのだろうか。加齢と季節で弱まる精神面である。心配は段々増えるのだろう。肩と首が固くなってるようなので、翌日は朝風呂。改善された。本当に改善されてるのか、精神面かはわからないが、肩から冷気を払う行動も少し有効な気がした。

眩暈感はまだ抜けないが、胸のつっぱりも残るが、息苦しさはほぼ改善。但し予断を許しては行けない。

 

眩暈

意識をはっきり集中させると目まいは消える。

やる気や元気とはこういうものなのだろうか。

気持ちの切り替えがふらつきをなくす。

あるいはカイロベンジンの影響だろうか。

気温が少し上がったからだろうか。

私は内面にこもる内気とやる気出す外気で自律神経が違うのかも

と思った。アニメの見過ぎでその世界に入り過ぎかもしれない。

外に出ると元気出る。現実の楽しさが観に降り注ぐ。

本来こうであったような。私は自分を少し取り戻したかもしれない。

金縛りすら怖くなかった。

4月の考察

歳ととる事で体調がすぐれない事が起こり、精神にも鬱影響を及ぼす事は多い。

老化の不調は慣れるので精神も回復するのだと思う。

さて、不調とは体が以前とは違い、上手く動かない。痛みや怪我を負う、何かすぐれない、

眩暈や関節痛等、これらを日常感じているとそれがデフォルトになり、その抵抗は体力を

知らずに消耗していて、寝起きにその事を感じるのだが、多くの人はその事に気づかない。

これが解放される事があれば、「すっきり!」と言った感覚になるのだろう。

さて、この事に気づき、これを見つめて解放するには時間と集中力、未熟者には難しい。

ただ、この方向がゴールに向かう気がする。

 

5.25 懐かしいとは

青春時代の洋楽を聞いていると、当時の気持ちが思い出されるというか、

なんでも実現できそうな未来を見ている状況が蘇る。

懐かしいとはこの良い記憶の連想から来るメンタルの活性ではないだろうか。

現代の良い曲も気持ちいいが、細胞が活性化される記憶とは個人差があれど、

誰もが体験出来る健康法かもしれない。

 

23.8.1

伊豆ツーで理解が一つ

伊豆旅行でわかった事。

南伊豆は自然の荒さが凄く、人を油断させないが、生命力は奪うどころか、

活性化させるのだと理解出来た。

昔からメンタルとフィジカルケアが出来たと思っていた旅行時の感覚だが、

この歳になってようやくわかった。

 

9.29

伊豆細野高原キャンプコテージ

ヒグラシに驚いた。ツクツクも1匹鳴いたのでちょっと安心した。体が軽いというか、動きが良くなって翌々日は少し驚く。

 

 

 

 

2023年の世界

時代の価値観

部下の手柄は上司に帰属。社員の功績は会社の功績。

これらの価値観は21世紀に入り変化していると思う。

理由は搾取的評価に対する反抗からだと思う。

議員と官僚の関係はどうだろう。

誰の為にがんばるか、自分ではないだろうか。

国の為と考える人は減ったか、その気持ちの堅持が減ったのではないか。

世界と言う舞台で自国優先と考えるのは昔からだが、帝国主義的構造が、

労働自体の評価とこれも変化してきているのだろう。

搾取と感じられる事柄はその加害、被害側が同等から逆転に向けての

変化の時代となっている。逆転される側の抵抗は武力や加害同盟によってなされる。

正義は勝者側に、負ければ不正義になる。大国のリーダー達はその栄誉か不名誉の

結果を生むのだが、すの影には無数のグローバル搾取者がいると考えるべきだろう。

 

太陽

23.1.23

太陽の放射量とニューヨーク、ロンドンの株価は比例。黒点数と米の非農業生産指数は比例。

宇宙船の到達量が増えると雲の量が増え、雷雨が多くなる傾向だそうだ。

太陽風が他の宇宙線を飛ばしてくれているとの事。つまり太陽活動の低下は寒冷化という良い論理構成例となる。サイクル25はこの200年間で最も弱い太陽活動期との予想。

その根拠は太陽内にある2つの磁気波?の活動観測かららしい。周波数の違う子の二つが11年周期と関係があると予測。今後30年間のサイクル25~27が弱い太陽活動で、ミニ氷河期

となる。既に2020年から始まっているという学者、2015年辺りからだと言う学者、研究科目によっても違うのだrぷか。でもあと数年で寒冷化のピークがやって来るという見解は多い。

温暖化対策は大丈夫だろうか。世界中で間違った行為を行ったとならなければ良いが。

これが最後の審判的な出来事と言われるのだろうか。

 

23.2.9      科学は創作のもとである。

新しい創作ものは科学の発展と共にある。

タイムマシンやアトムだけではなく、アバターインディージョーンズ

もそうだ。ドクター=アーサーCクラークは両方兼務の方だった。

さて、最新の研究では、地球は自転速度が変化している。そこから

内部コア、気象、太陽活動の影響と様々な関連研究から温暖化、

持続再生等の活動のさらに上級研究まで一般に知られるようになった。現代生活に不可欠なリスク回避の研究となるからだ。

経済活動中心文明はこの辺りにも浸透して行くのだ。

おかげでピュアな研究者が微笑んでいるかもしれない。

さて、直近の心配は太陽活動の増減である。

これが地場影響、熱量に影響し、電波と気温に。

そして地球の内部活動と関係してしていないか?

と言う事である。

ようするに地震、火山の影響。寒冷化、電波障害に宇宙線被害。

 

 

 

2023年参拝、詣で記録

碑文谷八幡

恒例のお飾りお焚き上げ用持参とお参り。

人は少なく、大晦日の篝火後を観ると数日前の喧騒が想像できる。

今年は年末にも来たので新鮮味はないが、奥殿が気になった。

神職は中に座っていた。

 

田端環状積石遺構

聖域と感じる事が出来た。特に芝の部分だが、墓や住居後だった。

薬師池

福王寺

向拝の彫刻は見事だと思う。なかなかの意匠。ここも本物の寺だとわかる。テーマパークの中の飾りではない。

 

本町田遺跡公園

藤の台団地と縄文、弥生の遺跡を往訪。空を感じる生活空間は古代から続く。

 

円融寺

4月8日はお花を配っていた。釈迦堂の中を観れて良かった。お花祭りだと帰り際にわかった。偶然参拝したが、ラッキーだった。これも縁。

 

神田神社

久しぶりの往訪だが、改装されていて何だか普通の観光施設になって行くよう。

祭りの後で神輿はまだ外に。少しパワーダウンしてるような気が。

 

湯島聖堂

こちらも久しぶり。平日は本殿?が閉鎖で少し残念。外国人が多いのもどうなのだろう。それでも相変わらずの佇まいで雰囲気はそのまま残っている。

 

平野山 高蔵寺

少し宣伝アピールが目立つが、収集物も含め、少しマイペース気味のお山。

それでも良い気のある所で、古さと現代的な要素を感じられるお寺。

 

石室神社

役行者縁の神社。岩の左に行った際に力を感じた。何かはわからないが、

他とは違うポイントがあったが、ごく狭い範囲で圧倒的な風景と暑さでちゃんと探れなかった。大きな自然の力でそのパワーだけでも荒い中にいるのは不思議と元気になる。

竜宮窟はただの自然スポットだったが、横の砂浜といい、夏の伊豆というより、どこかの島かと思う程。

 

黒山三滝不動

外国の仏画は幽谷に綺麗な明るさ。

三滝は以外に小規模。天狗滝は怖く感じる程の雰囲気があった。

 

大平山役行者

登山を味わった。遭難の理由がわかった。現地は落ち着いた静けさ。

遭難の気の先にある開けた場所はこの地が聖域のようであった。

 

江の島

江の島大師

久しぶりの往訪。今回は穏やかな雰囲気だったので、前回はいらしたのかな。

 

江の島三女神

とにかく人が多かった。人がいない場所には人がいかないので、自身一行の行動には注意した。当日は巳の日。神威はなかったかな。

 

洞窟

観光地化されるのは良いが、少し神秘性とか神威が足りない装飾はC級観光地のようで、心配だ。ここは本物の史跡なのに。まぁ外海の荒々しい光景は日によっては圧倒されるので、救いにはなる。

 

達観 人間経過

還暦にあたり人としての成長退化を個人的に記述してみよう。

22年11月

リタイヤ後の気の抜けた先輩達の話は薄れて来た。

今や第二の人生とか、その後の趣味とかまだまだ消費者として、

子孫投資としての対象とされ、話題になる。

そして趣味を通しての新たな人々の繋がり、継承が行われる。

この時代は居住ヶ所が代々の場所ではなくなって来ているので、

その文化の広がりと、その地域での慣習にも少しの変化が出て来る。

個人としては、現職を退き、趣味の世界を楽しみにしているが、

その興味がなくなり、探求心が無くなると自然な形でのこの世離れになると思う。

気を必要以上に使用して生きるのは体が耐えられなくなるものだが、

長くゆっくり使う事は私の目指す所だ。この場合の“気”とは精神エネルギー的なもの。

“気”というものがより理解されて来たと思う。気を休め、養い、そんな考えと気持ちが

成長の証と思われる。体力は衰退して行くが、精神は成長する。

 

外に出ないと駄目

寒くても暑くても通勤の為に外に出る。

何か気を張るのか、体と精神が引き締まると感じる。

これは元気の元から出る何かだと思う。

これがないお休みの朝などは、だらだらとしていて緊張の瞬間がない。

それは身心の錆となり動きがとれなくなる事だと思う。

 

突破

デジャビューではない、その先がアニメのように展開していく、すごく楽しみな事が起こる。そんな錯覚のような気になる事がある。

夢の中で空を飛べるような、その気になれば絶対出来る。そんなわくわくと不安感。起きてるのにそんな事が一瞬現れるのはどういう事だろう。

 

突然にこうなる。そんな事が降りてる。まさしく降りて来る。現れる。

予想してない事、願望事とは全く関係ない事。

これは何だろう。

 

突破

いけいけ状態とはいかないが、それに近い状態でないと何かが持たない。

楽しく過ごさないと病になる。恨む、やっかむ、嫉妬色々とあるが、楽しくないと

つまらない。どうせなら楽しく過ごそう。人生が残り少なくなるとディフェンス気味に考えるのだが、その考えを突き詰めるとやはり動ける内に、楽しめる内にと考えが行きつくと思う。突破とはこの境地なのだろうか。何か違う。もっと常識というか、通常の狭い法則を突き抜ける何かがある。それを把握する事のように思う。

 

フラッシュバック

仕事中の眠気を払う為にちょっと強く1度目を閉じてみた。

その瞬間に緑の木々が脳裏に映る。何の現象だろう。

瞬間的に夢を見るような感覚。

私はこの夢と現実の瞬間の閃く世界が大好きである。

眠る瞬間の、別世界に入り込む瞬間が幸せの始まりと思う。

自分の想像、都合のいい世界の始まりだ。

もしかして、仏教修行者の行の一部はこの瞬間をキープする事なのだろうか。

 

成長

歳をとると全力で遊べない。この場合の全力とは、若い頃の力の事。

力を出し切って満足していたことは出来なくなる。

その代わりメンタルで補おうとするのだが、そうしてると、物を忘れたり、落としたりし始める。マルチタスクの数が増えて来る傾向に体がついていかない。

 あの午後の日差しの荒涼感の風景。その空気感こそが、私の青春時代の記憶のようだ。セガンティーニの空と雲。モネの光線具合、ターナーの湿気、それらの作品は、その中に入れるほどの思い出のようだ。

 

不安の上書き

妻の入院によって、日常に大きな変化が起こる。

実際には些細な事の積み重ねだが、コロナの影響で面会はNG。

病院に行けないし、病状経過を医師に簡単に聴けなくなった。

よってスタンバイ状態が続く。家事は全て自分。食事も適当。

そんな状況では普段不安に過ごしていたポイントは後回しになる。

もっと大きな心配事は日常の心配事を下位におしやる。

これは仕事でも同じ事。つまり心配キャパはあって、その大部分を何が占めるか。

釈迦の教えを学んだ身としては、気づきがあるので、実は落ち着いて対応するのみ。

とわかっている。しかし、重要案件はその人によって順位が変わり、上書きされて行く

のは、気づけばだが、その後に生かせるのだ。臨死体験や宇宙飛行士や、

非常識体験をした人の人生観が変わるのはそのせいだろう。

 

継承

20歳台は吸収、40歳台では形にして行く製作中で、50歳台である程度完成。

完成度がどうだろうとそんな時期だ。その後はそれを実感し、評価して行く年代。

派生した興味を趣味にして行くのも良いが、継承は親子、弟子、後輩と行われて行く

もであり、それなくしてウンカの維持はない。モラルや伝統もない。

 

夏の影響?

おおらかというか、細かい事を気にしないというか、どうにでもなるようになれ!という、自分の欲求放棄のような気持ちに近づいた。

もしかしたら、若い頃はこうだったのだろうか。未来なんて何かいい事が起こる。

それが基本だった。失敗は怖いがそれほどの恐れはなかった。

それと同じか?少し違うのは欲が変わった事だろうか。異性、経済、名誉、真理、

それらがどうでも良いような放棄感。その感覚が近づいているようなのだ。

これはこの世を離れる予感?悟りが近い成長の証?ただの夏の生物的な興奮?